2013年12月。長年、行きたかった奈良県の宇陀を訪れた。大自然の残る奈良の宇陀、吉野地域は、数々の民間薬が伝わる土地である。日本書紀には、611年に推古天皇が宇陀地方で薬狩りをされたとの記載があり、この地域が古代から薬の産地であったことがわかる。
大宇陀は、近鉄大阪線・榛原駅からバスで18分。大和朝廷の中心地とされ、数々の古墳がある桜井市の隣町だ。江戸時代に松山城の城下町として整備され、伊勢や吉野への交通の要所だった。その頃の古い街並みは今も大切に保存されており、森野旧薬園は、そんな趣のある城下町の中にある。
この薬園ができたのは1729年。当時は八代将軍吉宗による享保改革期。財政再建のため、中国からの輸入に頼っていた薬草の安定供給が国家プロジェクトだった。初代森野藤助は、植村政勝(小石川植物園の拡張に尽力した採薬使)の薬草採取旅行に随行。その際に幕府から拝受した薬草6種(甘草、東京肉桂、天台烏薬、烏臼木、牡荊樹、山茱萸)を、自ら採取した薬草と一緒に自宅の裏庭の台地で栽培し始めた。こうして始まった森野旧薬園には、今も約250種の薬用植物が、自生に近い環境で栽培されている。
栽培された薬草は、たいへん貴重な品であり、丁寧に梱包されたのち、かごに乗せられて幕府に納められた。(上の写真はその本草を運んだかご。「大和生地黄」と、運んだ生薬の品名が書かれている)
藤助は、60歳になると隠居し、園内の「桜岳庵」で動植物の写生を日課とした。彼の描いた緻密な写生図は『松山本草』全10巻として残っている。その後森野家は、奈良で有名な吉野葛の製造を稼業とし、今に至る。吉野葛で最も有名な森野葛本舗は、森野藤助の子孫たちが継承する会社である。
大宇陀の「道の駅」裏に、大願寺という古寺がある。推古天皇の時代に創建され、領主・織田信武によって守られてきたこの寺で有名なのが薬草料理だ。近年になり、檀家のなくなった寺は、存続のため宿坊を経営するようになった。薬草料理は、本格的日本料理を学んだ僧が宿坊の名物としてつくり、出されるようになったものだ。現在は、山門を入った右手にある別棟で、自慢の季節の薬草料理を食べることができる。
薬草料理コースは要予約。前菜、ごま豆腐、酢の物、白和え、野菜の三種盛り、葛の刺身、煮物、天ぷら、ごはん、数もの、香の物、デザートという豪華な内容だ。
肉や魚は一切使わない精進料理の形式で、菊花、紅花、金針菜、クコの実、ナツメなど、中医薬膳にも登場する代表的な食材がふんだんに使われている。天ぷらは、ヨモギ、薄荷、ユキノシタ、ヨモギなど、寺の周りに自生する野草を中心に、薬効の高い朝鮮人参、ナツメを加えて。朝鮮人参は、輸入ものではなく信州産のものを使っているとのことだ。ごはんは、古代米として知られる黒米。通常、黒米は白米に少量混ぜて炊くが、ここのは黒米オンリーなのでイカスミのように真っ黒。100%黒米をもちもちとおいしく炊くのにちょっとした技があるそうだ。
「パワーのある薬草は、一度枯れても自然にまた芽吹く。だから地のものを使うのだ」とご主人。日本の植物は、外から紛れ込んだ外来種に随分やられてしまっているが、この地域には日本古来の種が力強く残っていそうだ。
大宇陀の道の駅で、この土地らしいお土産を見つけた。地元でとれた黒豆、かえで、ごぼう、抹茶などを生地に練りこんだ素朴なおせんべい。民宿のお母さんの話によると、地元のおばあちゃんが手焼きして作っているそうだ。おせんべいのほか、ほうじ茶、生姜の奈良漬けを買ってお土産に購入。
薬にちなんだ場所をもうひとつ。
宇陀にに向かう途中、三輪山信仰のメッカである大神(おおみわ)神社に立ち寄った。大神神社の奥にある狭井(さい)神社は、病気平癒の神である大神荒魂大神を祀った神社で、酒造業、製薬業を営む人たちの間で信仰されてきた。鳥居までの道は「くすり道」と呼ばれ、その先には長い階段がある。上った先に鳥居と本殿。注目すべきは、本殿の裏手にある井戸。これが三輪山から湧き出たご神水を拝受できる「薬井戸」だ。見るからにご利益がありそうなたたずまい。この水は柄杓ですくって飲むことができ、地元の人はボトルに入れて持ち帰る。まるでフランス・エビアン村の井戸のようだ。
神聖な水を私もひと口いただいた。
大宇陀とはまったく別の話をもうひとつ。
「薬膳」の看板を見ると、ついついのぞいてみたくなる私は、近鉄奈良駅近くにある商店街「ならまち」に、ちょっぴり怪しげな薬膳料理店を発見。思い切って入ってみた。店名は「京小づち」。漢方食材やハーブを使った料理を出すユニークな店で、薬になる食材を漬け込んだ薬種のバラエティも豊富だ。赤米、古代のチーズ「蘇(そ)」、ヨーグルトの元「酪(らく)」などの古代食も出てくる。店内の棚には、ずらりと並んだ薬膳食材、生薬の数々。メニューを見ると、「コレステロールをとる」「腎機能を強化」など効果効能がてんこ盛りである。仕事柄、「この表現はOKなのか??」と心配になる私だが、おおらかな奈良なのだから、そこはまあ、よしとしよう。
京小づちでは、秋の正倉院展期間中に「正倉院コース」という特別メニューが出されるそうだ。
東大寺正倉院の薬物、陀羅尼助(修験者がつくったという名薬)などの民間薬…、奈良には興味深いものがたくさんあり、それは神仏と深く関わりあいながら人々の間に浸透した。何ともディープな奈良。今年もまた、別のテーマを持ってじっくり散策してみたい。